カフェってなんでコーヒーを扱ってるの

今人生3度目のスタバにいるんですが、

 

目的は読書なのでいっちゃんやすいコーヒーを頼む

 

で、思った

 

なんでおれコーヒー飲むんやろ

 

コーヒー飲みたくないし

 

てかなんでそもそもカフェってコーヒー飲むところみたいになってんねやろ

 

昔は、もともとはそういう食後に行くところみたいなシステムやったんやろけど

 

今は全然関係ないよね

 

水でもお茶でも牛乳でもいいのに

 

なんかカフェ=コーヒーになってて

 

自分が社会に取り込まれてる

 

思考停止してたことに気づく

 

最近伊右衛門カフェ行ったけど、ちゃんとした急須のお茶があってマジでいいよ

 

 

2つの道で悩んだ時の答えは簡単さ

本当にやりたいけど、リスクある

リスク低いけどやりたい度は落ちる

 

だいたいこういう2つで悩むと思います

 

どっちも絶対に失敗するとしましょう

 

なら本当にやりたいことで失敗したほうが良くないですか?

 

どっちも絶対に成功するとしたら、

 

本当にやりたいことで成功したほうがいいですよね

 

なので答えはビビるほど簡単です

 

あと、本当にやりたいわけではないということもそれ自体が実はリスクなんですよね

 

自分の意欲が低くなるんで、どっちにしろ踏ん張りどころはあるわけだし、そこで踏ん張り力効くか?って

 

絶対に落ちるでしょ

 

そして常に本当にやりたいことのほうが脳にちらつく

 

また、本当にやりたい方を取っていくことで失敗は重ねると思いますが、いつか、何回かに一回は本当に欲しいものを手に入れられる

 

か、そこに近づいていくと思いますが

 

そうでない方を選び続けてると成功からも失敗からも学びの質が悪いし

 

全部成功したとして得られるのは偽物の自分です

 

なので意味不明な、全く興味もない、知らない、なんでここに来たんだろうって場所に辿り着くだけですよ

 

怖すぎだろ

 

よいしょ

血と赤色という概念て何か違う?

赤色が嫌いなんですけど

 

血は好きなんですよね

 

この前手術して血がどんどん出てきてその血は好きなんですけど

 

なんかパワーの源というか、血が滾るという言い方するけどわーって体が熱くなるようなパワーをくれるので

 

でもペンキとか絵の具の赤色は血にそっくりの色でも好きじゃない

 

なんでや?

どっちがどっちかわからんくらいやのに

 

実際にはその濃度とかそこに含まれてる物質による質感の違い把握してるということか

 

血って

血=赤いもの 血=赤い液体

として認識してたらほぼ

 

血=赤色 くらいもう言っちゃえると思うんですよね

 

血って赤いということ以外に人間の知覚で認識してる情報量がほぼないから

 

やから白い紙に血の再現の色のデータとかがプリントされてて、ぽつんとドットがあって、それと実際の血って何が違うって言われたら

 

違いなんてないようなものだと思うんですけど

 

自分が血の色と血自体に違いを感じてることに疑問を持ちました

不思議やわ〜

結局あらゆる経験を経て人間が収束するところ

色んなやりたいことに挑戦してやってきて

https://youtu.be/CT-YpW7aoz0

(最近完成した曲。めっちゃ良いのでぜひ聴いてください。)

 

落ち着いてきたところで思うのは

 

3大欲求の凄さ

 

自分が何をしたい

 

どうすれば落ち着く 幸せになれる?

 

と考えてみた時に例えば有名になりたいとか

 

いい音楽を作りたいとか

 

そういう人間の本質というよりかは知能的、個人

的な欲求の限界?

 

を初めて意識的に少し感じてる。それはおそらく今自分が疲れてるから

 

そうした欲求は不安定で、モチベーションが急に下がったり、疲れると欲求が薄まったり

 

自分の存在を確立させられた上で初めて成り立つ部分がある

 

加えていうと、自分自身の知的な欲求に関しては疑いの余地がどうしても絶対あるんですよね

 

それをし続けて、今まで飽きてやめたことのように辞めてしまうことはないか、

 

それが実現されたとして、だから何なんだろうとか、そのときに本当に充足感があるのか、など

 

けど、3大欲求に関してはそういう疑いの余地がない

 

寝た後に寝たいって思わないし、ねなきゃよかったとか思わないし、食べて空腹感が満たされなかったことはないし

 

それをすることで確実に自分が一旦安定することが確定してる

 

それがすごい

 

この空振りすることがない、裏切られることがないのが偉大だなと

 

今まで無限に3大欲求を満たすことを繰り返して30年で一度もあーもう寝たくないわとか、無くなったことがないこと

 

 

それを満たすことでひとまず自分の空虚感を最低限までは埋められてしまうこと

 

そしたらなんとか生きられるなって最低限メンタルが落ち着いてしまうこと

 

それがすごい

 

その凄さをいま感じていますおそらく

 

 

ワイヤレスイヤホンはスマホを変えると音質が変わる

しばらくiPhoneX、galaxy s9を使ってて

 

最近Pixel7を使ってみてるんですが

 

Sony wf1000xm4の音が1次元違う

 

もう誰が聴いても違うレベルで違う

 

細かさと深みが違う

 

アイフォンでは特にペラッペラやったからなおさら

 

たぶん対応してるワイヤレスの伝送システムの違いやと思うけど

 

イヤホン同じでこんなに変わるんですね

サッカー日本対イラン見てどう人生に活かす?

日本はアジアのレアル・マドリー

 

レアル・マドリーがリーガで8位で終わることあるか?

 

このメンツでイランにボコボコにやれるって逆にむずいぞ

 

週刊新潮不買運動して、日本サッカーも不視聴運動すればいいんちゃうか

 

体制が改善されるまでスタジアム応援いかない、グッズ買わない、チャンネルも見ない

 

まぁそれが唯一できそうな行動

 

 

やけど、実際は今日でやっぱもうサッカー自体見るの辞めよって思ったな

 

ほんまに見るの辞めるかはわからんけど

 

こんだけ期待して裏切られるのはきついわ

 

そしてその改善が自分でできない

 

ただ見るだけしかできないものに時間かけるって時間の間違った使い方やと思う

 

失敗した後次改善していける自分主体性をキープできることに時間を投資したいね

 

 

カメラマンとして人の顔を撮ってて不思議なこと

いつも初対面の人を撮るわけなんですが

 

マイインスタアカウントhttps://www.instagram.com/ha_photo10?igsh=MWFpeGw4bWowcHlyNw==

 

その時に実際の目で見た顔と写真で撮れた顔って完全に一致して見えるんですよね

 

なんか実物より悪いなとかあんまり思わない

 

なんですが、よく知ってる友達を撮ると

 

写真が実物に全く追いつかないことがある

 

 

 

それはおそらく

 

自分の脳内で立体的に相手の顔を把握してしまっていて、

 

その良さに対して2dの部分描写では全くそこを包み込めないということだと思います

 

だから芸能心で言う実物のほうがかわいいっていうのも3dとして完成されてる人なんじゃあないでしょうか

 

しかし、マッチングアプリで写真より良いと言うのは聞かないので基本的には3dが整ってる人の方が少ないと思います

 

マイインスタアカウントhttps://www.instagram.com/ha_photo10?igsh=MWFpeGw4bWowcHlyNw==

 

 

You're welcome bye