休んでいるとメンタルがやられる
チームラボの猪子さんの話を聞いてその延長で考えたことについて
チームラボのテーマの一つはボーダレスだ
チームラボの映像作品は額縁やスクリーンではなくその場の鑑賞者含む全体に投影されて、作品と鑑賞者の境界はない
猪子さんはインタビューで
人は全体から対象を常に切り取って認知している
地球と言う時に宇宙という概念が抜けて単独で地球だけのことを指すけど、宇宙がなければ地球はないし、実際には宇宙と地球に境界はない
純粋に地球だけという存在は認知で切り取っているだけで、そういう単独のものが存在している訳ではない
そこで境界をなくして全体を捉えていくことの可能性に興味があるというような話をしていた
最近の自分はこの境界なき、世界全体をそのまま認識してしまうような状態が続いてて、それがメンタルを悪化させている
安定状態からあえてその探求はいいと思うけど
人はテレビを見たり、仕事したり、本読んだりしてこの世界全体のことを忘れて
切り取られた一部の中に籠ること、集中しなければ生きていけないのだと感じている
最近本や映画に興味がなくて、何にも集中せずにいる時間が増えたことで
思考が特定の対象を失って世界全体へと向けられている
言い方を変えると思考がひろすぎる世界全体に曝され続けていると無限に暴走していくようで、
これが気持ち良ければいいんだけど、人生とは、とか将来のこと、とかネガティブな事象がループしてきてメンタルが落ちてくる
なんでもいいから何か対象に集中しなければならない
これはカーネギーの道は拓けるに書いてあったこととも共通している
絶望した時は仕事に忙殺されることで生き抜くことができたという例が書いてあった
既婚者のことを好きになるやつについて
遊びではなく
既婚者を本当に好きになってしまって不倫してるというやつ
なんか気持ち悪いなと思って
私が理解したアドラー心理学の考え方を当てはめて言うと
この人は、本当は相手に本気で愛されたくはない
自分の全てを差し出したくない
自分の一部しか見せたくない
そして相手にも
「自分を全てさらけ出したくない、
自分の良いところだけ見せたい、
相手を丸ごと受け止めたくはない」
と思ってることを求めてる
つまり、お互いに本気で向かい合う恋愛が嫌か、怖れて、
表面的な作り物の自分と表面的な作り物の相手との事実上存在しないもの同士の偽りの恋愛を求めてるんじゃないかな
そこでは、成長も希望も絶望も幸福も充足感も疲労感もなく、ただ時間だけが奪われていく
本当に欲しいものはそれなのか
ダサい自分でダサい相手とぶつかって、流れる血と生まれるハートの赤さが1番濃いんやで
元気、やる気のなさ、憂鬱さは自分の中で何かに負けてるのでは?
おそらく、これをやりたい
これができればいい ということがあるのに
なんらかの理由でそれが実行できない
それはおそらく金や、環境の問題ではない
そこに立ちはだかる心理的なハードルに自分が負けてるから
その壁を押さないで、それ以外のことで何か楽しいことないかなと探しているから
一人の人間に与えられた本当に心が動くことは1,2個しかないのだと最近は思う
だから1mmずつでいいからその前に立つ壁を押していくしか、人生を楽しくする方法はないのでは?
今日神様とは人のことだと直感的にハッとした
なんとも説明しづらいけど
今日直感的にまた一つ悟りがきた
有名でもない人気でもない人のsnsのある発言を見て、そうだよな!と思ってすごい力が湧いてきた
今までももちろんこういう体験をしたことがある
でも、今日は受け取り方が違った
こういう力を貰える発言は本当にいつもたまたま目にしているだけで
そこに必然性はない
相手は一切自分と関係の無い何でもない人
どんな人かも知らない
もっと言えばその人は実在していないかもしれない
これがキーポイント
無数の人が目の前に現れては消えていくこの世界において
有名でもなんでもなくて、その人のことをフォローしてもいないのに、自分に大きなものを与えてすぐに姿を消す人
その人が神様なんだなと思った
現実的に言えば、その人は人間として普通に生活していて、そのときその発言をしただけ。本当に平凡な人の一言
それが私にとっては神だった
こういう有象無象のなかの一人、一言がランダムな個人にとっては神になる
だから周りの全ての人々が神だと言える
今この瞬間何でもない人でもタイミングや出会い方、接し方が違えば神になりうる
それはその人が偉大だとかそういうことではなく、簡単に言えば出会い方、タイミング次第で平凡な人や言動が神になるということ
見方を変えれば、出会い方、タイミング、気分、巡り合わせ
それが神という言い方もできる
気持ち悪さのなかに生きろ
物事が進むときはいつも気持ちがよくない時だ
ずっと進まないことはいつもその気になる時を待って、その時だけ気持ちよくやろうとしている
読みたかった本を読むとか
筋トレするとか
勉強する
これらはそれに適した環境気分時間体調がある
あるからこそその時だけやろうとしてしまう
でもその環境が来るときは年間で実際は数回くらいしかない
その環境が来ていないときにパッと10分あるからやる
その時のそれを実際に遂行できている時の環境がどんだけ気持ち悪くてもそれがその行為に対する正しい本来の環境
それにもっと向いた環境があると思っているが、実はそれは幻想
その環境は幻のようなもの、四つ葉のクローバーを探すようなもので探してるうちに人生が終わる
最新のカメラ(シグマBF)を見て考えたこと
BFを見て久々に欲しいものができたなぁと思った
BFのホームページをそんなにカメラ詳しくはない友達に見せたら
ライカみたいな立ち位置やなって返ってきた
それで、確かに似たような精神性?を持って、ライカの対角線上に立ちつつあるよなと思った
こっからシグマが地位を確立して残り続けたら、未来では今のライカの位置にシグマが立つかもしれない
今の景色を未来から見てみる
今の景色も今確定してる環境での固定的なものとして見ないで
未来まで含めた液体的な不安定なものとして見ることでかなり柔軟で新鮮な気持ちになれる
例えばライカとかシグマとかカメラというものとかまで、これから全て変化していく変数のように捉えることで
わくわく感とか、脳への刺激が生まれる
思考に隙間が生まれて、光が差し込む
また、これは独りでの思考で生れたものではなく、友達との会話という思考
他者性大事やなぁ
自分を殺す愉しみ(物理的にではなく、比喩として)
行き詰まったとき
究極は
自分を殺すことでしかもう自分を生かす方法がないということに気づく
つまり、自分が自分を殺せてないから、活き活きと生きることもできないということ
ただ、その時自分を殺すのには苦痛ではなく、快感が伴う
自分を痛めて、追い込んで、捨てる
そこで新しい自分を獲得できる
その時にかなりの爽快感がある
だいたいこの自分を殺さなければならなくなっているタイミングは、同時に殺せる準備が整ったタイミングでもある
うまくできてる!