キモいと思われることについて

人生が面白くない

 

と思うことがこれまでの人生でよくありました。最近減ってるけど

 

普通なことをしてると人生は面白くないんじゃないか。普通なことをしていてもモテるとか、普通がそもそも得られなかった環境にいた経験があったり、普通なことを普通にやることに快楽を見いだせる人は普通のことをしていても不満は感じないと思う。

 

面白くない人生を変えるには、普通こうするってことと違う選択を積み重ねる必要があると思う。そうするには、もしかしたら普通に普通のことをやるっていうのを何回も経験してないと難しいかもしれないな。

 

そう考えると普通じゃない人には2種類いて、普通のことを普通にできて、その繰り返しの中で違う選択をするようになった人と、そもそもその人の普通が一般的な普通ではない人、がいる。

 

普通ではない人って後者しかいないイメージやったな。2種類いるわ。

 

 

人生が面白くないと思った場合は、普通の選択をどれだけ外していけるかが問題になる。そして外すときにはキモくなる。

 

例えば、ファッションが好きで、自分が本当に着たい服を着たらふつうしない格好になる。その格好ってかっこ良さもありつつ、キモさもあると思う。それはたとえ大人気のプロのスタイリストであったとしても。

 

そこで自分が感じる外圧に勝てるかどうかで自分の人生の自由度が少しづつ変わっていく。でもそういう時の外圧って実はかっこいいと思う人が90パー、なんじゃこの格好って思う人が10パーだとして、その10パーの目線でしかないみたいなことが多いと思う。でもそれがすごい気になる。外圧ってそもそもの本体は小さくて、弱くても、こちらに辿り着くと、途端に馬鹿でかくなる性質があるんだな。これは発見。

 

最近新しい人との関係を求めてるところで、この前仕事で、そんな喋ってないけどなんか仲良く慣れそうな年下の人(男)に久々会った。ちょっとだけ喋って、それが会える最後ということだったので、まだそんな仲良くもないのにライン交換してご飯に誘った。それってキモいと思われてるかもな~と思う。が、そのキモさ無しに新しい関係性を築いていくのは無理。

 

自分の人生を楽しくするにはキモいと思われることをいっぱいするしかない。キモさなくして面白さなし。キモさをペイして、快楽を得る。

 

で、こう考えると日本でのナンパってなんかやったら成功率の低い、一部の振り切った男たちためだけのもののような気がしてたけど、人生を面白くするには普通に普通なことなのかもしれない。

 

なんか剥き出しになった汚れた欲望のようなイメージがあるけど、さっき言った新しい関係性を築くために仕事仲間ご飯に誘うっていうそういうことの一種でしかない。女をナンパするっていうそれだけしてるとあんまやけど。

 

それ以外にも人生を面白くするための様々な普通からの逸脱行為があって、その一つと捉えるとめっちゃ普通。そう考えると自分もナンパ、というか、良いなと思う女性がいたら声かけるっていうのできそう。まぁクラブナンパなら何回もしたことあるけど、日常で

 

若手人気哲学者の千葉雅也さんの勉強の哲学って本で何かのやり始めはキモくなる期間があるって言ってたけど、やり始めだけじゃなくて永遠にキモさはあるのでは?

 

これが千葉雅也さんの大売れした本

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